生徒会長始めました。
タイトルはアレです。高木新平さんの「博報堂を辞めました。」を意識しました。というのはどうでも良いのですが、とある高校の生徒会長になったのでつらつらと書いていきたいと思います。
生徒会長で検索をかけたところ大抵は某アニメしか引っかからないので生徒会長の話を書いてみるのも面白いかと思いまして書くことにしました。
はてさて、見事生徒会長に当選した私は晴れて生徒会長になったわけですが私はなぜ生徒会長になったのかを昔の話から今後の展望までメモがてら書いていきます。
中学生の頃といえばすごく面倒くさい生徒で、勉強もできないし大してやることがなかったので集会の場で生徒会に質問をぶつけたり批判を繰り返していました。また、文化祭ではトークショーをやって学校や教師批判もしました。つまるところ、この上ないほどうざいやつだったのです。
しかし、こういう奴がなんで高校生になって生徒会長になったのかといえば少しの希望と可能性が見えたからです。完全に閉ざされ何者かによって統制された世界である中学校社会から高校の中は何かを動かせるような気がしたのです。
実際にともに仕事をしてきた、生徒会長により目安箱という学校の中では画期的なシステムを作り上げました。これ自体はなんてこと無いものですがこの行動こそが僕を生徒会長へ導き出すキッカケだったのかもしれません。
学校には不条理なシステムが山のように存在していて、そういったシステムは見えないような隠されていたりあからさまに分かるようなものまで多岐に渡ります。そういった不条理なものはどんな馬鹿でも異論を唱え「おかしい」と言うのですが、それを行動して変えていこうという身を削るような変態性を兼ね備えた馬鹿は居ません。
そのためか、不条理なものを受け入れることがまるで正義のように感じてそっと目を潰すのです。あたかも美徳かのように学生なんて所詮そんなもんなんだと言われる度に苛立ちを感じるわけです。
なお、生徒会自体も所詮はボランティアと何も変わらないという揶揄を行い不条理な状況をそのまま受け入れることもなおさらおかしいことに誰もが気づいていながら誰一人行動を起こす馬鹿は居ないのです。
これまで書いてきたように、生徒会なんてボランティアだという価値観を変更させていくことに大きな意味があります。そういった価値観を変えていくことからしか、何をするにも私の一方的な価値観との深い隔たりが出来てしまうわけです。もっとも、生徒会の本質とは任された仕事をこなすことではなかったはずです。
要は、あってもなくても良い機関を無駄に設置しているというわけです。実際の政治であれば野次が飛ぶほどの話です。
"こなす"ではなく"創る"ということに注力していくことが、すり込まれた概念の書き換えにつながってくるわけです。意識レベルとして変化させていくためには極端な転換が必要になってきます。政治でも変わりないですが、安保法制という転換が訪れたときに急に人々は意識が変わったわけです。これは、確かに良い方向と悪い方向どちらとも取れたものではありませんが確実に良い方向で転換させていくしかないわけです。
確かに、傍から見ればどうかしているわけですがこの難題をクリアすることが出来れば意識レベルとしてもシステムとしても最初に書いた"何かを動かせる"という容易に実行することができます。
非常に流れの早い時間軸の中で価値観や概念を書き換えることは難儀です。もし、その先の未来へ行けたのならばその頃にはお役御免になりそうです。だからこそ、生徒会長という立場で早急に問題へ取り掛かりより良い方向に舵を切らなければなりません。