偏差値ふぉーてぃー

教科書捨ててブログしてる偏差値40台の高校に通う高校生のブログ。

最近になって読書しまくってるから”本を読む”ということについて考えてみた

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ここ数年はどっぷりとデジタル端末やネットに浸かってしまい、帰ってきてから、学校の行き帰りはネットウォッチングばかりでした。

そんな私も、最近はすっかりTwitterFacebookに飽きてしまい本を読むことが多くなりました。とりあえず、昔買ったけど読めなかった本や本屋でとりあえず目に留まった本など、片っ端から読んでいます。

そんな読書というものをしていて思ったことがあります。

とてつもなく長いけど

小説によ、ビジネス書にせよ本というのはものすごく長いです。ブログ記事を読んでいて「長いなぁ」と感じるとはわけが違います。その何十倍もの分量があるのです。

しかし、何故僕らはそんな長いものをわざわざ読んでいるのでしょう。

自らを補強する

小説などを読んでいるときに、ハっと思うことがありませんか?自分に持ち合わせていないものや出会ったことない情景や視点を見つけたときに、僕らはその長い物語の中で考えさせられます。

自分がそれを知ったとき、ものすごすごく影響を受けたりするものです。そういうものをもともと持っていた知識や知恵と掛け合わせていきます。

そうすることで、知らぬものに対する感覚や通常では出くわすことのない状況に適応できる力をつけます。

当然のことながら、異世界ファンタジーを読んでも現実が異世界ファンタジーになるわけではないので、読んだ情報をそのまま活用するわけではありません。そういう作品から、自分に何が必要かを選んで応用していくわけです。

まあ、だからと言ってすぐに役に立つものではありません。閉ざされた自分の世界よりかはオープンマインドになって、いろいろなものを得て構築された自分の世界の方が、ずっといろいろなことを考えられます。

役に立たないから

大して、役に立ちません。自分が本を読んで何かすぐに行動を起こせるわけではないし、本のようなことが起きて対応するということもないわけで、覚えた知識は宙ぶらりんになっています。

ただ、そのときをひたすら待っているわけではありません。

必死になってしんどい作業をすることというのは、その瞬間の気持ちよさを得たいという日々の鬱憤や感情というものを晴らしたいのかもしれません。

本を読み終わったときの達成感や泣かせられるような感動、ほっこりとした温かさというのは自分の感情を補ったり、自分の心情になっていたりしてそれを満足感に繋げているのだと思います。

そうすることで、人は落ち着きを取り戻していくのです。

くぉくんのまとめ

やっぱり思うことは、本を読むということで損をすることがないと思います。ただ、単純に本を読んでいるだけではだめで思考しながら読む必要があります。この場面は何を言っているのか、自分だったらどうするかなどという風に考えます。

それが、自分のためになっていったりするだけです。ただ、感銘を受けたり感動するだけではそれの繰り返しになってしまい、あの膨大な文章を読んだことすら意味のないものになっていってしまいます。

自分に浸透させるように読むことで、自分の暮らしや見方が豊かになるのかもしれません。