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偏差値ふぉーてぃー

教科書捨ててブログしてる偏差値40台の高校に通う高校生のブログ。

はてなという物語から紡ぎだされる知識や思考があふれる空間

ブログ ブログ-はてなブログ

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いっつも、日本史の先生がまずは物語を叩きこめと授業中に言っていて、最初のうちはその意味をいまいち理解出来ませんでした。

しかし、そのストーリーとは一体何なのかということを教えてくれたのは書き手である自分、そしてはてなブログでした。この記事にある物語にのせられた知識ですら、私の中でいつまでも生き続けていくのです。

学校の授業の多くで教えられたのは、ひたすら頭のなかに知識を叩き込むといったある種のスポーツのようなものでした。そのスポーツにいつも馴染めず、脱落者になってしまうことがしばしばあって、知識は流れて別の知識によって覆われてしまうという現象が何度も起きていました。

そんなことを思いながらはじめたはてなブログは、物語から紡ぎだされる知識というものが盛り沢山でした。どう思考したかやどう思うかは、一般論で語られることなくその人が持つ特有の環境や人間性から生まれる物語が知識になったものばかりです。

その独特の味を持った、物語はどんな知識を得るにしても、すごく毒すら感じるスパイスとなっていて私に知識を蓄積してくれたのです。

漢字が覚えられなくて、辞書引いたり意味を考えたりした言葉って何故か無駄に覚えていますよね。そういう感覚です。そこには、ただ知識がたされたのではなくその知識に対する導線が、辞書を引いたりするという自分自身の物語がそこにあるからです。

quoqlish.hatenablog.jp

以前書いたこの記事は、自分の経験から紡ぎだされた知識や思考によって書き上げたものです。その記事についたコメントは以下のようなものでした。

あの人キライ発言には「キライだからどこかにいってくれないかな」「いい人に変わってくれないかな」という幼稚な願望が隠れてるんだよね。自分がそれに対してどう適応すべきかを考える方が建設的だし大人だと思う

これは、またこのコメントをつけた人がこの思考が紡ぎだされるまでその人だけの物語をたどっているわけです。こうやって、永遠とループしそれすらも物語としてその人に影響していくのです。

しかし、これもまた面白い話ではてなのように経験ありきの知識があふれる世界というのはどうも不思議です。インターネットという場において知識の蓄積なんぞ無意味なのではないかという話があります。要は、思考をして知識を得るのではなく知識だけに瞬間移動出来るツールこそインターネットだからです。

d.hatena.ne.jp

このエントリに言及があるとおり、自分で考える前にググっていると、思考プロセスを伴わないので自分で考え抜くことができなくなってしまうのだ。思考の筋肉を衰えてしまうのだ。

だからなのかもしれません。誰もが知識を持てるようになった世の中では知識力なんて言うもので勝負しようがありません。そこで、物語と知識を連結させる思考力などが求められているのです。

今こそ、そんな空間がもっと必要なのかもしれません。