偏差値ふぉーてぃー

教科書捨ててブログしてる偏差値40台の高校に通う高校生のブログ。

ネットが発端の事件や事故で騒ぐことよりやることがある

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ネットが発端になった事件と言えば「西鉄バスジャック事件」や「秋葉原通り魔事件」は、記憶に残っている人も多いと思います。そんな事件が起きる度に、メディアは如何にネット社会が極めて危険であるかということを話します。

しかし、その注意の促し方が正しいとは僕には全く思えません。重要なのはネットが極めて危険であるという軸の話ではありません。

テレビを見ていてもネットが発端となった事件はそれほど多いわけでもありません。事実として、現実世界で起きた事件の方が圧倒的に多いでしょう。

しかし、現実世界とネットが切り分けられる発想にどうも納得がいかないのです。確かに、事件の発端となった掲示板やサービスなどの危険性や特殊性を分析したり議論する必要はあるでしょう。ただ、ニュースでぼんやりとネットは特殊だからと言って終わらせてしまうのは納得がいかないわけです。

そうしてしまえば、単純にネットが特殊で危ないから用心した方がいいという発想が一般庶民に根付いてしまうことは間違いないです。これでは、いつまで経ってもネットの事件が起きるたびに恐れおののくテレビの向こうのコメンテーターや主婦が増えてしまうわけです。

問題はネットを現実の一部というふうに認識出来るかだと思うわけです。社会には犯罪を犯してしまう人たちが、一定数居て多くの人がナイフとか銃などを使うのに対してたまたま使ったツールがネットだったという極めて単純な話なのです。

そういったごく単純な話に置き換えると、別にネットだからと驚くことでもないわけです。また、こうすることでネットというところが強調されて怖がるのではなくネットという身近なツールを使っていくなかで、どのようにして加害者・被害者にならないかということを勉強していくキッカケになります。

それが出来ていないからこそ、ソーシャルネットワーク上で炎上が起こってしまったり、犯罪行為を助長するような行動に繋がってしまったりするのです。

確かに詳しくない人からしたら「ネットは怖いもの」というイメージかもしれませんが、それを「どう使えばネットは面白いのか」というところにフォーカスしていくだけで自分の生活が豊かになります。メディアはネガティブな側面で語ることが多いですが、実際視聴者にネットでほっこりした話があるか聞いたら山のように届くはずです。

それこそ、誰かがネットであったものすごくどうでもいい現実世界でもある話題を話すことで、ネットと現実世界は非常に近いものだという認識も出来ると思います。

単純に批判するだけではダメで、ネットというある種の文化に触れたうえで面白いものがあったり問題点があったりというのを。しっかりと自分の目で見極めて話をしなければなりません。